貞享義民塚

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城山公園に行ったのはついででして。。。。本当の目的はこちらの貞享義民塚です。

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貞享5年(1688年)凶作と疫病により餓死者も出たため、庄屋だった加助をはじめとする12人で年貢軽減の「5か条の訴状」を松本城下郡奉行に提出。

松本平の農民1万人が竹槍を持って城に押し寄せる騒ぎになりました。

願いは一旦聞き入れられたものの、その後なかったことにされ、騒動を指揮した罪で加助とその同志、一族28人は子供も含め、はりつけ、打ち首の刑に処されました。

昭和25年丸の内中学校の体育館建設の工事で、地下から18体の遺骨が出てきました。

また井出川の刑場跡からも遺骨が出ています。

遺骨を埋葬した義民塚がつくられ、現在まで慰霊祭が行わています。

平成28年に整備事業が行われ、「義民塚を守る会」を設立し環境維持活動が行われているそうです。

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このページは、りりこが2024年2月28日 08:38に書いた記事です。

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長野県塩尻市の山間の村にある「興龍寺」というお寺に生まれました。
小学校へは1時間ほど歩いて通ってましたが、毎日まっすぐ帰ることはありませんでした。自然に恵まれていたので、近くの山を越えたり、湖を1周したり、カブトムシを捕りに行ったり、川や田んぼで遊んだり…ともかく毎日、違う経路で遊びながら帰っていました。
その当時はあまり感じていませんでしたが、今は信州の四季折々の自然の美しさを実感しています。
そこで、私が感じた信州の自然の素晴らしさを、随時お伝えしていきたいと思います。