信濃国分寺 その2

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さて、信濃国分寺をお参りしましょう。

741年に聖武天皇の命により国ごとに国分寺が建設されました。

創建時の信濃国分寺は平将門の乱に巻き込まれて焼失したと言われています。

その後、鎌倉時代 源頼朝が善光寺を参拝したことをきっかけに堂塔の再建を誓願したとのことです。

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三重塔は国の重要文化財となっており、室町中期の建築だそうです。

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そして、こんなものを発見!

上田合戦の際、真田昌幸が徳川秀忠とこの信濃国分寺境内で会見し、和平について協議したとのこと。。。。しかし、真田昌幸の計略により徳川38,000の軍の足止めをしたため、秀忠は関ケ原の戦いに間に合わなかったと言われています。

こういった歴史の場所はやはり楽しいですねぇ。

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このページは、りりこが2023年8月 8日 08:32に書いた記事です。

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長野県塩尻市の山間の村にある「興龍寺」というお寺に生まれました。
小学校へは1時間ほど歩いて通ってましたが、毎日まっすぐ帰ることはありませんでした。自然に恵まれていたので、近くの山を越えたり、湖を1周したり、カブトムシを捕りに行ったり、川や田んぼで遊んだり…ともかく毎日、違う経路で遊びながら帰っていました。
その当時はあまり感じていませんでしたが、今は信州の四季折々の自然の美しさを実感しています。
そこで、私が感じた信州の自然の素晴らしさを、随時お伝えしていきたいと思います。