諏訪大社上社本宮の横の法華寺さんです。
上社の神宮寺であった(神宮時とは神仏習合思想に基づき、神社に付随して建てられた寺院)法華寺は、七堂伽藍がそろった大きな規模の寺院だったようです。
また、以前も紹介したことがありますが、忠臣蔵・赤穂浪士討ち入りで有名な吉良上野介の外孫で、のちに養子になった義周の墓があります。
討ち入りの際、防戦につとめながらも、その働きが武士らしくなかったと咎めを受け、領地を召し上げられ、高島藩にお預けの身になりました。(要は流刑ですね。)
しかし、3年後に病気のため死去していますが、断絶した吉良家に義周の遺骸を受け取るものがおらず、この法華寺に埋葬されたそうです。
亡くなった時、21歳ということですから、討ち入りの時は18歳・・・・将来があった身だったでしょうに、、、忠臣蔵の一番の被害者ではないかとも言えるくらいですね。
また、明治7年から大正15年まで神宮寺学校があり、繭蔵を改築した校舎があったようです。
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