昨日に引き続き、上田市内・・・・江戸時代、藩主 真田信之はお城ではなく、城の近くにある館で生活をしていました。 その館跡が、なんと!!!現在では上田高校になっています。
なんとも、面白いですよね。門と土塀、お堀が残っています。
そして、、、、町の中には六文銭があちらこちらにあります。
恒例チェックのマンホールは、色鮮やかなものでしたが、「これは六文銭?」
そして、ろうきんさんにも六文銭が・・・・
昨日に引き続き、上田市内・・・・江戸時代、藩主 真田信之はお城ではなく、城の近くにある館で生活をしていました。 その館跡が、なんと!!!現在では上田高校になっています。
なんとも、面白いですよね。門と土塀、お堀が残っています。
そして、、、、町の中には六文銭があちらこちらにあります。
恒例チェックのマンホールは、色鮮やかなものでしたが、「これは六文銭?」
そして、ろうきんさんにも六文銭が・・・・
長野県塩尻市の山間の村にある「興龍寺」というお寺に生まれました。
小学校へは1時間ほど歩いて通ってましたが、毎日まっすぐ帰ることはありませんでした。自然に恵まれていたので、近くの山を越えたり、湖を1周したり、カブトムシを捕りに行ったり、川や田んぼで遊んだり…ともかく毎日、違う経路で遊びながら帰っていました。
その当時はあまり感じていませんでしたが、今は信州の四季折々の自然の美しさを実感しています。
そこで、私が感じた信州の自然の素晴らしさを、随時お伝えしていきたいと思います。
真田信之の館跡に高校があるのですか。ここの生徒はロマンがあって良いですね。この高校の校章は矢張り六文銭でしょうか。
門と土塀とお堀だけなのですが、当時の様子が伝わるようですね。
それにしても門に上田高校と表示されているのが面白いですよね。
校章は残念ながら六文銭ではないようですよ(笑)